堀江はいつからブランドになったのか?
47歳、おじさんコラムのコーナーです。
西区で一番人気な町といえば、たぶん「堀江」なんだと思います。
我が母校堀江小学校は、大阪市内で2番目に生徒数が多いため、春から分校化されるとか。
じゃあ、40年前からマンモス校だったのかというと、そんなことはなく1クラス35人程で1学年4クラスでした。
私の記憶では学年ごとの人数の差もなく。
卒業後に入学する堀江中学校が校則で男子全員丸坊主だったからか男児が異常に少なく、そのせいで4クラスだったのかもしれませんが。
さておき。
22歳まで新町に住んでいた私の堀江の記憶。
北堀江は「マンションが多い住宅地」です。
幼稚園ぐらいのときは木材倉庫みたいなのが多く「木のニオイがする」印象が強かったんですが、気付いたら、どんどんマンションに変わっていったような。
堀江と新町の間を通る長堀通はもともとは川で全国から木が集まってくる場だったとかのはず。
南堀江、特に立花通りは「人っ気がなくて怖い」でした。
「家具の街・立花通り」という家具専門の商店街でした。
今でもその名残はありますが、多くは若者向けのセレクトショップに変わっています。
おしゃれなお店ばかり。
と思ってたら、家具の商店街の面影を残すお店発見!
今の立花通り界隈から「人っ気がなくて怖い」は連想できないでしょうし、北堀江は「普通の住宅地」でした。
当時の住民にブランド意識があったかどうかはわからないのですが、ただただ都心に近い割に静かで住みよいから住んでいたのではないでしょうか。
堀江ブランド化の転機
ここに大きな影響を与えたのはB’zだったりWANDSだったりZARDだったり倉木麻衣だったりします。
堀江のブランド化とJ-POPにどういう関係があるのか。
私が高校生ぐらいの時に「ビーイング系ブーム」ってのがありまして、ビーイングという音楽会社所属のアーティストでヒットチャートは埋め尽くされてました。
そこの社長さん&音楽プロデューサーさんが
「大阪の堀江を表参道みたいな町に」
か何かのコンセプトで、堀江の土地を買いまくったと。
1階はオシャレなショップやカフェで、上はマンションで。
若者が集う場所を大阪に作ろう、と。
音楽プロデューサーとして成功したお金を不動産投資に回したとか。
そうやって堀江が表参道化し、ブランド化していったのです。
今から25年ぐらい前から?
同級生が住む「昔から住んでました」な古くからの一軒家の1階がオシャレなショップに変わってたりします。
そのビーイングさんのグループ会社?子会社?のGIZAというレーベルが北堀江にありますね。
倉木麻衣を筆頭にコナンの主題歌を歌っているアーティストさんが所属しています。
GIZAさんがやってたパン屋さんの2階で若手アーティストがライブを行ってたりします。
そちらのライブハウスにB’zの松本が来たってのは見たことあります。
さておき、人っ気がない怖い家具団地から大阪イチのオサレタウンに変貌し、ブランド化した堀江地区。
その影響が隣の新町や西区全体に及ぼしていると言っても過言ではないかもしれません。
少子化が社会問題の中、西区の児童数が増え続けていることを考えるとありがたい話なのかもです。
自分のふるさとが違う形になる寂しさは少しだけありますが、それを言ってては社会は前に進みませんもんね。
そんな感じでいろいろと見たり聞いたりした話をまとめただけなので、「本当に?」と思う方は一度お調べください〜。